京の都へご上洛でございます。
京都御所の北側、上京区にある御霊神社(ごりょうじんじゃ)
から京都の旅が始まりますよ。
上御霊神社(かみごりょうじんじゃ)とも言いまして、
「上御霊神社由緒略記」によれば、平安遷都の延暦13年(794年)、早良親王を神霊として祀ったのが始まりだと伝わります。
早良親王(さわらしんのう)とは、桓武天皇の実の弟です。
桓武天皇が、長岡京を造営する際、長岡京造営の責任者であり
天皇の信頼を得ていた、藤原種継(ふじわら たねつぐ)が何者かに暗殺される事件が発生します。
激怒した桓武天皇は、暗殺事件の首謀者として、早良親王を
捕らえました。早良親王は、無実を訴えますが、聞いて貰えず
首謀者として扱われ、乙訓寺に幽閉されてしまいます。
早良親王は、食を断ち無実を訴え続けましたが、淡路へと
配流(流罪)されることが決まり、その道中で衰弱により
亡くなり、淡路に埋葬されました。
その後、新たに皇太子となった桓武天皇の子が病に倒れ、
天皇の母親や皇后が相次いで病死。さらに長岡京は疫病の
流行や天変地異、式部省の門が落雷で倒壊するなど荒れ果て
てしまい、早良親王の呪いだと確信した桓武天皇は、長岡京を廃し、延暦13年(794年)新たな都として、平安京へと都を
移しました。
桓武天皇は、それでも早良親王の呪いを恐れ、早良親王に、
「崇道天皇」の尊号を追贈し、埋葬された山を山陵として
手厚く祀るとともに、御霊神社を創り早良親王を祀り、平安京は結界をはり、鬼門を固めた新都として創り上げました。
御霊神社は、千年の都を見守ってきた神社なんですね〜
あっ!それと、応仁の乱が勃発した場所なんですよ!